「これだけは誰にも負けない」を考え始めたとき
それは、大学に入学して間もない頃のことだ。
私は田舎の出身だ。
高校では、田舎の中でも進学校に進学することができた。
その高校は、330人程度の卒業生のうち毎年数人、多くて5,6人程度が東京大学に現役合格していた。
私はコツコツ勉強するのが得意だったし、嫌いな教科もあったが基本的には勉強が好きだった。高校での成績もよく、成績上位を安定してキープできていた。熱心に教育を進めるタイプの進学校だったので、塾には通っていなかった。
大学受験のことを具体的に考え始めたとき、始めはどのレベルの大学を目指せるのか分からず、偏差値から適当に考えていたが、次第に「どうせ目指すなら日本一を目指したい」と思うようになり、東京大学を目指した。
受験記ではないので省くが、結果として現役でギリギリ合格することができた。私の学年は12人が東大を受験し、半分の6人が現役で合格した。合格したうちの2人は学年内でも飛び抜けて成績が優れていて、3人は圧倒的に得意な科目を持ち、他の科目もそれなりに得意な面々だった。
その中で私は、「成績は結構いいけど東大に受かるほどかは分からない」くらいの存在だった。更にはセンター試験で思ったように点が伸びず、12人の中で望みはかなり薄かっただろう。
それで受かったものだから、正直に言うと「どんなもんだ!」と思った。覚えてはいないが、プライドも高く持っていただろう。
ただ、それと同時に、「優秀な人だらけの恐ろしい環境に飛び込むことになってしまった」という不安も同じくらい持った。
入学した結果、自負は消え失せ、不安が圧倒的に勝った。
高校の数学の教科書の巻末コラムに載っていたような発展的な内容を、「これは分かりますよね?」と軽やかに聞く教員。さも当然のように頷く同級生たち。
彼らの中には私と同じような地方出身も多くいただろうに、塾で学んだのだろうか。知ったかぶりをしたのだろうか。それとも、私の記憶が強調されただけか。
真相は今となってはわからないが、そのときのショックは今もはっきり覚えている。
大学の外に出れば、東京大学というブランドは、(すくなくとも国内では)「すごーい!」「めっちゃ頭いいじゃん!」などの評価を受ける。
しかしそれを聴いても、当時の私にとっては「遥かにレベルの高い彼らと同じブランドで括られることのプレッシャー」にしかならなかった。
私が「これだけは誰にも負けない」を考え始めたのは、ちょうどこのあたりだ。
勉強によって手に入れた学力という物差しが、自分の長所たり得なくなった。
世界一位の人以外は、みんな自分より上がいるのだ。だから、上には上がいることに落ち込んでいては、キリがない。
でも今、現に自分の長所だと自身を持って言えるものが、思いつかない。
自分は勉強だけをやって生きてきたわけではないはずだ。
自分には何があるんだ?
そんな事を考えはじめた。
まだ、答えは分からない。