人の悩みを聞くということ
考えたことをブログに書き残そうと思ったきっかけ。
私には、お付き合いしている女性がいる。
もうそろそろ4年になる。お互いに信頼していると思う。
こういった内容を書くのはなんとなく女々しい気もするが、人との関わりの中で考えること、気付くことは多いので、気にせず書く。
彼女も私も、社会人だ。
私は企業で研究をしているが、彼女は全く別の仕事だ。
仕事をしていく中で、嫌なこと、悲しいこと、辛いこと、頭にくること、色々起こる。
大切な人がそういうことに襲われたら、何とかして助けてやりたい、と思う。
彼女は最近、職場で理不尽なことがあったらしい。それに対する愚痴を、職場の同僚にぶつけ、友達にぶつけ、しかし今日あった私にはぶつけることなく、別れ際にちらっと聞いた。
その時、私はつい思ってしまった。
私には愚痴を吐いてくれないのか?と。
まるで自分が信頼されていないような気持ちになりかけたが、彼女は不満を持っている風ではなかった。
帰り道で考えた。
どれだけ互いに信頼していても、パートナー1人が全てを救えるわけじゃない。
仕事の愚痴は、同じ環境で仕事をし、勝手知ったる同僚や先輩の方が、内容を理解しやすい。友達も、同じ大学で共に教師を目指していた友人だった。
彼女は、たまに会う私との時間が、愚痴によって重い空気になるのを避けたいようだった。楽しい時間を過ごすことで、心が晴れる。そういう助け方もあるということだ。
もっと言えば、愚痴については私も同じだ。研究や企業勤めで生じる愚痴を、その境遇にいない人に伝えるのは難しい。
もちろん愚痴に対する門戸は、いつでもオープンだ。
その門をいつ叩くのか、決めるのは私ではない。ただ、門の周りは歩きやすいように掃除しておこうと思う。